札幌大通公園の名前の由来は?街を二分する大きな通りが公園になった歴史を解説

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歴史文化

札幌市の中心を東西に貫く大通公園。その名前の由来を巡る歴史は、ただ単に「広い通り」だからというだけではありません。開拓時代に遡る都市計画、防火帯(火防線)としての役割、そして市民の「憩いの場」へと変化した過程。こうした背景を知ることで、大通公園が今日までどのように形成され、愛されてきたかが鮮やかに見えてきます。街の構造と文化、場所の意味を深く理解するために、由来の核心へと迫ります。

札幌 大通公園 由来:名称と役割の始まり

札幌の都市設計が本格化した明治時代、中心市街を北の官庁街と南の商業・住宅街で分けるための区画構想がありました。その中で「後志通」と呼ばれた空き地が設けられ、これは北半と南半を分断する火防線として機能しました。1871年にこの区画が本格的に整備され、後に「大通(おおどおり)」と改称されたのが始まりです。名称には「広く通る道、大きな通り」というニュアンスが込められています。

開拓使と都市設計の中での「通り」の位置づけ

開拓使が札幌に本府を設置した後、島義勇(しま よしたけ)が碁盤目状の市街地構想を打ち立てました。その設計では、東西の基軸が創成川で、南北を分ける通りが後に大通公園となります。防火や行政の機能を考慮して市街北部を官庁地区、南部を住宅商業地区と定める設計でした。

後志通から大通への改名の背景

当初は「後志通」という名称が用いられていましたが、市民の間でこの名称の認知度が低く、親しみに欠けるとの意見が多くありました。そのため1881年6月に「大通」と改称され、以降この呼び名が広く使われるようになりました。改名は通りの性格の変化や都市の成長に応じたものとも言えます。

火防線としての機能と公共空間への転換

元は建物の延焼を防ぐための空地=防火帯として位置付けられていたこの通り。しかし、市街の拡大に伴い、建物の建設が制限される空閑地として市民のスポット的利用が始まり、明治末期から公園化の声が上がるようになりました。1909年には造園の専門家を招き、散歩道としての整備が進められ、公園としての姿が徐々に整ってきます。

整備の進化:大通公園としての歴史と変遷

名称が定まった後も、大通通りはただの広い道ではなく、市民・歴史・イベントの舞台として形を整えてきました。公園化、花壇の整備、戦時中の利用変化、戦後の復興などを経て、現在の多機能な都市公園となりました。その過程を年表とともに見ていきます。

明治期の整備と初期の博覧会

1875年頃になると、通りは仮博覧会等の会場に使われるようになり、1878年には第一回農業仮博覧会が開かれました。また1876年には西3丁目・西4丁目に西洋風の草花を植える花壇が造られたことが、公園としての先駆けとなります。これらは、防火線としての機能を残しながらも公共的な空間に変わる兆しでした。

専門家による造園計画と公園らしい整備

1909年には造園の権威者が東京から招かれ、この通りを散歩地として整備する計画が立てられました。長岡安平という造園家がその中心となり、樹木の植栽や花壇、歩道や噴水など人が歩きたくなる空間づくりが進められました。これにより、単なる通りであった空間は都市の休息としての公園の性格を強めました。

戦時中と戦後の役割の変容

第二次世界大戦中は食料確保のため畑として使われるなど、公園の機能が一時的に変わります。戦後、占領軍による管理下で一部は運動場などに転用されましたが、1950年以降公園としての復活が始まり、花壇の整備や市民利用の促進が図られました。こうした復興が現代の大通公園につながっています。

構造と名称の意味を読み解く

「大通公園」という名前は、その空間の構造や言葉の意味と深く結びついています。通りとしての機能、公園としての意図、都市を分ける街区としての役割。そうした多面的な意味が込められており、それぞれを理解することで「由来」の全体像が明らかになります。

「大通」の文字が示すもの

「大通」とは文字通り「おおい通り」、あるいは「大きな通り」を意味します。幅や長さだけでなく、市の中心地を貫き、北と南を明確に分ける機能的な意味も含まれています。名称変更後は市民の認識の中で「中央通り」であり、都市の軸として位置づけられるようになります。

公園としての「公園」の付加価値

通りであったものに「公園」という名称が加わったことで、公的空間、憩いの場としてのイメージが強まりました。歩道、花壇、噴水、樹木など自然要素が取り入れられ、市民レクリエーションや四季のイベントにも対応する多機能性が備わります。

街区と丁目区分の役割

大通公園は東西に約1.5キロ、1丁目から12丁目まで区切られています。丁目ごとに特徴があり、テレビ塔や噴水、アート作品などが点在します。これは通りという直線的構造を維持しつつ、多様な目的を持つ区画を丁寧に配置することで、公園としての豊かさを確保している構造です。

最新のあり方と未来への視点

現在、大通公園は単なる緑地を超えて、市民の憩い、観光資源、イベント会場としての側面を兼ね備えています。行政も「誰もが過ごしやすい空間」としての整備を進めており、最新の都市開発計画から2025年には緑の回廊としての機能強化も提案されています。未来へと続く公園のあり方を見ていきます。

市民利用とイベントの中心地

雪まつり・ライラック祭り・YOSAKOIソーラン祭など、四季を通じて多彩なイベントが大通公園で開催されます。これにより市民だけでなく観光客にも親しまれ、札幌市の風物詩の一部として定着しています。夜のイルミネーションや噴水のライトアップも人気です。

緑化空間と自然要素の充実

公園内には約92種類の樹木が植えられ、葵やエルムなど四季毎に異なる表情を見せます。花壇も各丁目ごとに企業や園芸業者が管理し、季節の花々で彩られています。これにより市街地でありながら自然の中にいるような心地良さが得られるようになっています。

都市計画とランドマークとしての価値

「大通・創世交流拠点」などの都市政策では、大通公園周辺の土地利用や官民連携による空間形成が検討されています。歴史的景観や沿道の景観を尊重しつつ、新しいランドマーク的な都市空間を創出することが目標です。将来に向けて象徴性の維持と創造性の両立が重要視されています。

まとめ

「札幌 大通公園 由来」を探るとき、単に“広い通りだから”という説明では足りません。

まず、明治期に都市を北官庁街・南商住街に分けるための防火帯として設計されたことが根底にあります。後志通という名称から大通へ改められ、通りとしての機能を保持しつつ、公園としての意義が加わりました。

次に、1900年代に入って造園を専門とする計画が導入され、花壇や歩道などが整備され、人々が散歩や休息に使う公共空間としての要素が増えました。また戦時期の用途変更を経て、戦後には市民の憩いの場として完全に復帰しました。

今日の大通公園は、通りの歴史と公園の解放感が融合した空間です。街を二分しながら、市民が自然や季節を感じる場所として設けられたこの場所の由来を知ることで、そこに込められた意味がより深く胸に響きます。

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